ヌーナン症候群と診断される。
- hysbrmk114
- 2024年3月12日
- 読了時間: 3分
私は未熟児で仮死状態で生まれる。帝王切開で誕生したが、緊急応急処置のためすぐに私と面会はしてくれなかったと母親から話を聞きました。そして、私はカラダに管をたくさんつけられて体の中に溜まっていた水を抜きました。

ミルクも自力で飲むことができず、鼻腔栄養で1歳4ヵ月くらいまでミルクを飲んでいました。しかし、鼻腔栄養でミルクを飲んでも吐きまくりで、あまりミルクを飲むことができませんでした。普通の赤ちゃんと比べて発達が遅く、ゆっくりと成長しました。

生後10ヵ月頃に「両感音性難聴」と診断されました。2歳の時に初めて補聴器を着装。そして、小学4年生くらいから身長伸ばすための成長ホルモン注射を毎晩打っていました。そして中学生になり、成長ホルモン注射治療を止め、他の治療に変わりましました。
注射を毎晩打たなければ、身長を伸ばすことができない、痛くても自分の体のことだと思って続け、その結果伸ばすことができました。

中学・高校生になると身長は、これ以上ほとんど伸びることはなく131センチで止まりました。私にとっては、140〜145センチは最低限欲しかったです。なぜなら、それぐらいの身長であれば、キッチンなどに立ったときに料理や洗い物がしやすいなと感じたり、運転もできたかもしれないと思ったからです。しかし、その身長に叶うことはできませんでしたが、限られた中で工夫しながらやっていかなくてはなりません。
そして、中学生時代に両外反肘であることが分かり、高松日赤病院でも珍しく、県外の大阪にある母子医療センターに紹介されそこまで診てもらいに行ったことがありました。オペすると第二次障害が出るので、そのままで大丈夫と言われて治療はせず、そのままにしています。日常生活に問題ないのですが、中学・高校時代に箸が持てなかったり、自力で服を脱いだり着たりできないほどの痛みが出て母親にご飯を食べさせてもらったり、風呂、トイレなどの介助してもらってました。また、カラダには悪いと分かっていながら、周りに迷惑をかけるからといって遠慮して、学校にいる間は水分補給を摂取せず、トイレを我慢していたこともありました。社会人になり、母親の紹介で接骨院に行き始め、家でできるトレーニングを教えてもらい、筋力をつけたことで学生時代のように、両肘にいつも痛みが出ることが無くなりました。
そういう症状の低身長、両外反肘他などがヌーナン症候群の特徴です。難病の1つで海外では、1,000〜2500人に1人がなるそうです。(データで報告されています。)日本でも珍しい病気です。でも、ヌーナン症候群だからといって気にしていません。今の人生が楽しいと思えるのは、今の自分の状態を受け入れられているからだと思ってます。😊


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