できる、出来ないと決めるかは相手じゃなくて自分である。
- hysbrmk114
- 2024年3月12日
- 読了時間: 3分
とある方から、1時間の手話スピーチから日本語文章へ翻訳して欲しいというご依頼がありました。
手話から日本語に変換ができるとはいえ、文章にすると、本人のスピーチの意図とずれてはいけない。そして間違った日本語にすると意味も変わってくるのです。そこが心配でしたが…
私は日本語文章を書くことが苦手でした。なぜなら、助詞や接続詞の使い方がわからなかったり、文章が変かなと気にして書き直しばかりすることが多く、私が書いたことが相手に伝わらなかったりすることがこれまでに多くあったからです。
それなのに何で、大変なことを引き受けたのか、それには理由があります。
①手話が分からなくても、ろう者(耳の聞こえない人)のスピーチの内容を知りたい。というろう者人の考え方や思いを知ろうとする聴者(聞こえる人)の思いが伝わり、聞こえない人としても、すごく嬉しかったのである。
②私は実は、翻訳はやったことがないのですが、やったことがない上に聞こえないから、やらないとは違う。
やることでそれが良い経験になるから。そして、やったことがないことは、やらないではなく、やったことがないからこそ、やってみようと思ったのです。
それは、予想以上に大変なことでした。英語から日本語の本または、日本語の本から英語に翻訳の活動をされている人たちのことを思うと、なんとも言いようがないくらい凄いなと思わせられました。
1本目は手話がわかるとはいえ、誰が読んでもわかる文章にしなければならないことから、言葉の選びなどに苦労しました。仕事や活動の合間で書き続け、3日で仕上げ、2本目は4日くらいで仕上げました。
1万2千字を超え、つまりページはA4の紙が10ページです。1万字を超える日本語文章を書いたのは初めてです。できた時は、なんか心の中が熱くなったような感覚になりました。
私は耳が聞こえなく、音が耳に入らなく様々な情報が入りづらいのです。そんな限られた情報の中でも、やろうと思えばできる!
そこから気づいたことは…
聞こえないからといって、日本語文章が苦手であるこれがすべてに当てはまらない。なぜなら、聞こえる人さえ、日本語が難しいと感じることは沢山あると聞くから。
とはいえ、ろう者(聞こえない人)は、音が聞こえないため、言葉や情報が入らないことから、確かに難しいのです。だけど、日本語文章が苦手なことは、全てそれだからなのか?というとそうではないと思います。
つまり私は、聴者(聞こえる人)は、五感ができるからこそ、日本語文章もなんでも分かるかなと思っていたことが、実はそうとは限らないと納得しました。
何事に対しても、聞こえないからではなく、もっとニュートラルにいこう!と改めておもいました。そうすることで、文章だけじゃなく他の面でもブロックを外していけるんじゃないかと思いました。いい経験させていただき感謝です。


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